浦島太郎

久しぶりに携帯とインターネットの無い世界にいました。デジカメに入れたはずのバッテリーは充電されていない方だった・・・・

今回は東北の北上山中とある炭焼き小屋に入り釜の掃除と修復。こんな時代でも、地方都市から1時間も車を走らせると携帯の「圏外」表示になるところがたくさんあり、ちょっと驚きです。初日は「あ~ネットがあればすぐに調べられるのに」、「コンビにがあれば売ってるのに」という状況に出くわしますが、3日も経過すると無くても何とかする、無いなりに自分で作ってしまう、などに頭が切り替わります。

朝から晩まで普段と全く状況が違うので退屈はしませんが、いつもと違う動きをするので予想外の筋肉痛がやってきます。飯は釜炊きで山菜や地元で作られた干物や野菜類で自炊。たまにやるとこれがまた面白い!風呂は車で40分かけてひなびた昭和40年代に、にぎわっていただろう老朽温泉宿へ行くか、川沿いに下った途中にある本当の野天風呂・・・・・・水場にはカモシカ?らしくき動物がうろうろ・・・・のどちらかです。

機械的な音がしない自然の中で家主が墨と筆で書をしたためていく様子をじっと見ていると、この人は自分が満たされていることを知っている人なんだな~と感じました。
どうでもいい話ですが、小学生のころソロバン塾と書道の選択肢がありましたが、何故?書道を選ばなかったか未だに疑問です。ソロバンは役にたった記憶が無い・・・

「いろんな答えは自分の頭の外にある」と最近また何かで読んだ気がしますが、全くその通りでした。

ひとつひとつの炭がベストな状態になる工夫や細やかな努力、気遣い、そして何よりも作る人の思い、これらのすべてが揃わないと自分が使って欲しいと思っている人のところまで行き着かないそうです。世の中のどこでも売られているものも、扱う人の気持ちが真剣であれば、どこかで理解してくれるたった一人の人から話が広まり、売って儲けるために作るのではなく、喜んだり、満足してもらうために作る様になると。家主曰く、いつもの場所を離れてみると自分がいる場所の良さやありがたさが自然にわかり、自ずと自分が何をすべきかが見えるそうです。そして人様に幸せや便利さを提供したぶんだけ、お金になって自分のところへ戻ってくると。お金持ちはたくさんの人に貢献した結果にの現れだと。わかっていることでも改めて至極納得。

帰りに「これは家に帰っても、開けないほうがいいよ」と、家主は裏山の竹で編んだ籠をくれました。
竜宮城のお姫様の横で踊っているおねえちゃん出てきたら感動しちゃうなあ~。
何が入ってるかドキドキです。