年々、お墓参りに行く回数が多くなっています。
方位が合うときは実家や分家、母の実家、早くに他界した叔母の墓、恐妻宅の墓。
方位が合うときは実家や分家、母の実家、早くに他界した叔母の墓、恐妻宅の墓。
今から20年近く前のこと、分家の叔父さんが亡くなりました。
戦時中も軍医としてアジアを行軍・・・その経験から内科から外科までなんでもござれの範疇の広い人で
村の医師として40年程地域に貢献していました。
私にピリン系のアレルギーがあることを発見してくれたのもその叔父さんでした。
葬儀の時に村中の子供からお年寄りが集まって、大きな田舎の寺にも入りきらず、あれほどの参列者数の葬儀は未だにありません。
亡くなった時に、その人の也がわかると言われますが、ああいうことなんだなあ~と今にして思います。
戦時中も軍医としてアジアを行軍・・・その経験から内科から外科までなんでもござれの範疇の広い人で
村の医師として40年程地域に貢献していました。
私にピリン系のアレルギーがあることを発見してくれたのもその叔父さんでした。
葬儀の時に村中の子供からお年寄りが集まって、大きな田舎の寺にも入りきらず、あれほどの参列者数の葬儀は未だにありません。
亡くなった時に、その人の也がわかると言われますが、ああいうことなんだなあ~と今にして思います。
「そのうち、そういうことの意味がわかるよ」
そして、2年前の祖母の他界を機に、その言葉の意味するところが理屈抜きに感じられるようになりました。
そして、16年前にとある霊能者に言われた、『私の守護霊』は・・・・・その他界した医者の叔父さんらしいのです。
車を運転していたりして、一瞬ひやっとした後に、必ずその叔父さんのことが頭をよぎります。
とても多くの人に守られている気がして、ふとした時に手を合わせたくなります。
この感覚は中年以降の特権かな?