感謝の時間

先日、突然の被災で両親と会えなくなってしまった従弟の一人から1冊の本をもらいました。

各年代ごとのシリーズ本として有名な「30代にしておきたい17のこと」本田 健 (だいわ文庫)
私は40代ですが、パラパラめくっていたら目に飛び込んでくることがいくつもありました。


その中で本に折り目がついていたページ「両親とお別れしておく」というパートでこんな一節があります。

「急病や事故で両親のどちらかを亡くしたひとの多くは、お別れを言えなかったことをとても残念に思っている。そう考えると、30代になったら自分の両親と元気なうちにきちんとお別れをしておくことです。別に涙の別れをする必要はありません。(中略)両親に普段から感謝を伝えられていると、万が一の場合でも、悔やむことは少なくなります。」

従弟の気持ちを思うとちょっと切なくなりました。


今年の春先に、長女の私大の入学金を本人に手渡しました。「ありがとう」の一言ぐらいあるかと思ったら何も言われませんでした。そのため、その週はなんとなく機嫌が良くなかったと記憶しています。

では、自分の時はどうだったか?と25年前を思い起こすと・・・・そうなんです、最初の入学金と1年の前期の学費は親が払いました。確か入学金は126000円と学費も同じぐらいの額だったので、それほどの金額ではありませんがアパートの契約金などを入れると東北の貧農家には小さな金額ではなかったと思います。
どうも照れくさくて「ありがとうございました」という一言すら伝えていませんでした。

仲が悪く、ろくに口もきかなかった父親に「もう親の世話にはならない」と啖呵を切って上京したので授業料やアパート代から食費まで生活費は全て3つ掛け持ちのバイトで稼ぎ、ありとあらゆる手段で授業料免除を獲得して、上京当初は1日200円しか使えないというサバイバル時代でした。
しかしながら「いつでも何とかなる」という理由の無い自信を得ることが出来たのは、この自活せざるを得なかった時代のお陰です。

すぐに実家に電話して、電話に出た母親にこの経緯と25年経ち親の立場になって初めて分かることが増えてきて、今更だけど感謝していること、そして父にもそのことを伝えて欲しいとお願いしました。

これで悔やむことがひとつ減りそうです。



いつどこで、どんなことが起こるかわりません。
必ず期限が訪れてしまうことは、どんどん実行に移そうと決意しました。


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もうひとつは、愛する祖父のお世話です。

昨年の春先には「大腸がんで、もう手の施しようがないので自宅で最後を過ごしてください」と医者に言われて帰宅。
その後、不思議なことにどんどん元気になって去年の夏には這ってトイレに行けるようになり、秋には自分の足で歩けるようになり、毎日通ってくれていた介護のヘルパーの必要が無くなって、今ではなんと!毎日、自分で入浴しています。

嘘くせえ報告で有名な六角ヒランヤ水晶は元より、毎日欠かさずご先祖様に祈り、お札やご祈祷やらできることを全部やりました。

私に時間を与えてくれた神様に感謝です。