先週から体調を崩して入院。昔の写真が見たいとの話だったので仲の良かった祖母の昔の写真を持参しました。
私の後から台湾の合弁会社の社長と専務がお見舞いにやってくると、すらすらと北京語で会話していました。
酸素吸入器を外しながら「もう、俺も88歳だから、そろそろだよ」
いやいや、大叔父様まだまだ。
私の幼少期に舶来物を初めてお土産に持ってきてくれて以来、「いつかは大叔父さんの様になりたい」と魅了され現在の私がいます。
私の幼少期に舶来物を初めてお土産に持ってきてくれて以来、「いつかは大叔父さんの様になりたい」と魅了され現在の私がいます。
週明けからFIJIに行く話をしたところ、何度目かの私の大好きな昔話をしてくれました。
当日は高級品だったバナナの生産地を探すべく、大叔父は世界各地へ。
当時、南太平洋の小国へは日本からは飛行機も飛んでおらず、東京からシドニー→ニュージーランドのオークランド→貨物船で3日間かけてFIJI→また船でイースタンサモア→現地のバナナやフルーツの生産調査に数週間→船でウエスタンサモア→飛行機でホノルル→飛行機で羽田・・・こんな長旅だったようです。
当時、南太平洋の小国へは日本からは飛行機も飛んでおらず、東京からシドニー→ニュージーランドのオークランド→貨物船で3日間かけてFIJI→また船でイースタンサモア→現地のバナナやフルーツの生産調査に数週間→船でウエスタンサモア→飛行機でホノルル→飛行機で羽田・・・こんな長旅だったようです。
今回は1960年代のFIJIへ向かう大型貨物船での船長や一等航海士との船内のフルコースディナーの様子を初めて聞かされました。
会社の規模が大きくなったり、小さくなったり、買収したり、買収されたり、息子達がなんと言おうが、何歳になっても、大叔父は私のヒーローなのです。