エントランスの椅子に座って眺めているだけで、心地よい空間・・・・行ってみたい。
数年前から女子限定でスリランカの有名建築家がデザインした有名ホテルを泊まり歩きながら、世界遺産を周ったり、アーユルベーダ体験をしたり、セイロンティーの茶畑を見たりするツアーは非常に良かった!という話を耳にしていました。
旅行会社の方々の話を聞いたり、実際にツアーに参加した女子の皆さんから感想を聞いているうちに東西文化の入り混じった独特の世界観に興味を覚えました。
古いパスポートをみると1990年に1日だけ入国した記録がありました。
まだ方位を知らなかった若かれし時代です。
あの時はホテルで酔っ払い、仲良くなったシンガポーリアン・・・・後でゲイであることを知る・・・に危うく操を奪われてしまいそうになった苦い思い出が。今更ながら調べると西の凶方位でした。
まだ方位を知らなかった若かれし時代です。
あの時はホテルで酔っ払い、仲良くなったシンガポーリアン・・・・後でゲイであることを知る・・・に危うく操を奪われてしまいそうになった苦い思い出が。今更ながら調べると西の凶方位でした。
そんなホテルのデザインをしたのは、スリランカが世界に誇る建築家"Geoffrey Bawa" (ジェフリーバワ 1919~2003)
日本ではあまり知られていませんが、トロピカルアーキテクチャーの第一人者であり、リゾートホテルの最高峰アマンリゾーツのデザインがバワ建築の影響を受け、ホライズンプールを生み出したことでも有名です。
『自然との調和』をテーマにした建築様式は、古くは熱帯リゾートの代表格バリ島のホテル様式にも影響を与え、今なお人々を魅了しています。
『自然との調和』をテーマにした建築様式は、古くは熱帯リゾートの代表格バリ島のホテル様式にも影響を与え、今なお人々を魅了しています。
バワは、1919年イギリス統治下のセイロンでヨーロッパ系の裕福な家庭に生まれた九紫火星の独裁者の相。
バワの事をネットで調べてみると・・・・・
19歳で渡英しケンブリッジで英文学を学び、弁護士としての道を歩み始めますが、後に長期の世界旅行に旅立ちます。
帰国後にスリランカ南西部のベントータに理想郷を作ろうとしますが、自分の建築知識のなさに気付き再び渡英。
彼が建築家としてスタートしたのは遅咲きの38歳でした。
その後2003年に84歳で亡くなるまでの約40年間、彼はスリランカの自然、歴史、文化を現代建築に融合させ、ホテル、公共施設、学校など様々な建築様式に力を発揮しました。
バワの事をネットで調べてみると・・・・・
19歳で渡英しケンブリッジで英文学を学び、弁護士としての道を歩み始めますが、後に長期の世界旅行に旅立ちます。
帰国後にスリランカ南西部のベントータに理想郷を作ろうとしますが、自分の建築知識のなさに気付き再び渡英。
彼が建築家としてスタートしたのは遅咲きの38歳でした。
その後2003年に84歳で亡くなるまでの約40年間、彼はスリランカの自然、歴史、文化を現代建築に融合させ、ホテル、公共施設、学校など様々な建築様式に力を発揮しました。
バワの設計したホテルの設計ラフ図面を見て、風水の考え方との共通点を探したり、意外な発見盛りだくさん。