スリランカツアー

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本日から西の大吉方位スリランカツアースタート!

インドの南に位置する島国、スリランカ
「インド洋の涙」の異名を持ち、かつてセイロンという名だったこの国は、1978年にスリランカ民主社会主義共和国へと改称。
1983年、シンハラ人とタミル人による民族対立が勃発し、以降2009年に至るまで内戦状態が続いたことは記憶に新しいと思います。
終戦から4年が経過し、現在スリランカはその豊富な観光資源を世界にアピールすべく、急速に発展しているパワーアイランド。


日本とスリランカの間には、互いに助け合った長い友好の歴史がるという、意外に知られていない関係。

スリランカではお釈迦様の入滅の2500年後に「ジャヤ・セーナ(勝利の戦士)」という名の人が、東のほうから来て仏教を助ける、という言い伝えがあり、昭和17年4月に日本軍がコロンボとトリンコマリーを空襲したときに「遂にやってきた」と歓迎したといいます。

終戦後の昭和26年9月6日の米国サンフランシスコ講和会議。
米国が中心となって、日本の独立を認める講和条約案がまとめられていましたが、ソ連が日本の主権制限案を提案したり、議事進行を妨害するために、32人の代表団を送り込んでだり、中国共産党の出席を求めるなど審議引き延ばし作戦を展開。
緊張と不安の中に開会された日本には圧倒的に不利な状況下での会議で、スリランカ代表のJ・R・ジャヤワルダナの演説が始まります。世界51カ国からの代表が集まって、日本との講和条約を結び、日本の独立を認めるかどうかを議論する場です。

ジャヤワルダナ代表は、日本に対する賠償請求権を放棄を訴え、その理由として、仏陀の「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るものである」を引用。

ジャヤワルダナの演説が終わると、人々の感動の拍手で会場は賞賛の嵐。
『サンフランシスコ・エグザミナー』紙は「褐色のハンサムな外交官が、セイロン島よりやって来て、世に忘れ去られようとしていた国家間の礼節と寛容を声高く説き、鋭い理論でソ連の策略を打ち破った」と評しています。

このように、戦後の日本の復興にダイレクトに貢献した立役者がスリランカのジャヤワルダナ代表なのです。


ジャヤワルダナ氏は明治時代に日本を訪れて日本をモデルにして祖国の独立を図ろうとした傑僧ダルマパーラの伝統的親日感情を受け継ぎました。仏教を通じても日本に親しみを覚え、禅の精神にも精通し、生涯日本を愛しました。
親日の理由を聞かれると「日本は西欧に対してひとり際立った存在だった、そして、仏教国だから」と答えたといいます。
1996年11月1日、ジャヤワルダナ氏は永眠しました。彼の遺志に基づき、死後の彼の角膜が臓器提供されました。片方はスリランカ人に、そしてもう片方は日本人に。

参考文献
桜の花出版「日本のお陰です」桜の花出版編集部(編)
転展社「世界から見た大東亜戦争」名越ニ荒之助(編)