先輩ち~っす・・・その1

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数年ぶりに昔お世話になった方から連絡があって、事務所に来てもらうことになりました。

先生と共に衛生放送を拡販してた時代のPanasonicの営業担当のKさんです。
Kさんは御年77才、八白土星の攻撃型宇宙人・独裁者の相というかなりアグレッシブなタイプです。
お互いから本相性が良いせいか?いまだに細く関係が続いています。


若かれし頃、初めて就職したのは旧国鉄(現在のJR東海)。
ラガーマンだったKさんの血気盛んな時代で、上司と意見のぶつかり合いの末、その上司をブッ飛ばしてしまい解雇されます。
その後、高度経済成長期の家電メーカーM下電器の営業で活躍し出世します。
営業職を謳歌していたのですが、組織の定めで、出世と共に営業の第一線から内勤の経理部長に昇格。
自宅に社用車が迎えに来るランクだったようです。
定年後は関連の子会社だった某衛星放送企業に再就職。

ここで私達と出会ってしまい、一緒に仕事をすることになります。
当時を振り返りKさん曰く「風変わりな社長と二人だけの零細企業に何故、Panasonicが支援するのだろうか?本当にこの二人に売れる能力はあるのか?」と心配だったようです。

しかし、その心配はすぐに晴れることになります。
その風変わりな社長(竹下宏)の奇抜なアイデアで首都圏で一番売れる代理店の営業担当になり、後にもう一社の出向先への切符を手にすることになるのです。


当時の衛星放送事業は見切り発車の部分が多く、チューナーとアンテナの在庫の欠品が相次ぎました。
売るものがないことには商売になりません。そこで・・・Kさんの昔の取引先や同じく出世した方々の人脈と権力を借りて、だいぶ助けてもらいました。
その強引さには度々舌を巻きました。メーカーで既に在庫が無くなった商品をKさんの息のかかった全国の販売会社からかき集め、Kさんの電話の翌々日にはウチの事務所に、どこにもないはずの金の卵となる在庫が山積みされるという、とても頼もしい方だったのです。


そんなKさんは当時の営業スタッフや我々代理店の父親的存在。
宴席では毎回脱線して・・・・

「何歳までやれるのか?」
「美人の奥さんとはどうなんすか?!」

などと本当の父親には決して聞けない、でもかなり興味のある分野に関して解説してくれる良き先輩でもありました。


二つ目の出向先からも完全に退職したKさんは、お遍路巡りに出かけたり、奥様と念願のアジアや周辺国によく旅していました。

しかし、旅に出ていない時はずっと家にいます・・・何せリタイヤしたのですから、毎日が自由なのです・・・・・

しばらくすると、今まで甲斐甲斐しかった奥様が怒りっぽくなります。
その原因は、どうやらサラリーマン時代と違って、朝も一緒、昼も一緒、夜も一緒・・・・いつも視界にKさんがいるからだったようです。


そこでKさんは出かける用事を作るための先輩や後輩を訪問する日々を送ります。
先輩と言っても既にリタイヤしていて、同僚同士で集まって毎日麻雀をやっているか、毎日ゴルフで飽きてしまっている、昼から酒を飲んでいるなどあまり自分が理想とする先輩のライフスタイルはありません。

次は何人かの後輩の働く元の会社へ行ってみます。そこは自分がいた当時とはシステムも異なり、高度経済成長時代の作れば作るだけ売れていたイケイケドンドンの時代の賑わいは全くなく、すべてが「セキュリティー」という名の管理の元に整然と配置された自分は足を踏み入れてはいけない場所に変わっていました。

Kさんは時代からだいぶ遅れたような疎外感を感じます。

そこで、Kさんは「自分のルールを決めて」2週間ごとのやるべきことリストをノートに書いて自分を管理しました。
まず老後の健康を考えて毎日1.5時間のウオーキングを始めます。元もとラガーマンだったこともあり基本的に健康で、ウオーキングの方は順調に進み日本橋から横浜の自宅まで50キロ近くを歩けるようになりました。

そのうちにウオーキングをはじめ様々な趣味の会に顔を出すようになります。
いくつかの会を経て、趣味の旅行関係の会を渡り歩くうちに都内のNPO法人と出会います。
5000人ほどの会員を擁する組織でしたが運営出来る人が退任するので代わりを探しているというのです。
出来る人が見つからないとそのNPO法人は無くなるというのです。
条件は法人の設立や経理関係に明るく、公官庁とのやり取りができる人・・・・・M下電器時代の経理部長として働いた経験がここで偶然にも生きることになります。

「私、パソコンはからっきしダメですが、決算処理など経理関係ならできます」


Kさんは水を得た魚の様に70歳を前にして仕事を見つけて5年間そのNPO法人の責任者を務めることになりました。何が良かったか?と言うと、趣味のレベルではなく、責任ある立場を得られて緊張感を持てたことが何よりありがたかったそうです。
何故か、そこで仕事をするようになってから奥さんも元の甲斐甲斐しい女性に戻ったというのです。

今日の先輩ち~っすの格言。

『健康第一!でも元気な老後は結構大変。定年しても生かせる技術や経験を是非とも手にした方が良い』