10年ぶりの旧友との宴会

十数年ぶりに中学時代の友達Kが上京してきました。
彼は学校の養護教諭をしています。
県の教育委員会から指名されて2ヶ月間の研修にこちらへやってきたというのです。
将来の出世には必要な登竜門らしく、選抜されたことは喜ぶべきことです。

でも・・・・2ヶ月間・・・・・これまた微妙な月数です。
しかも年と月の大凶でやってきてしまって・・・・


話を聞くと、田舎の学校はいくつかのセクションに別れており、太平洋岸地域、比較的町が多い内陸部、そして田んぼと牛しかいない山間部を数年単位でぐるぐる転勤するそうです。
とっくの昔に盛岡の郊外に一軒家を建てているのですが、転勤が多く、ほとんど住んでいないそうです。

話を聞くと大変な職業です。
何がというと・・・・親です・・・・生活保護を受けていたり、リストラされて収入が減ってしまい、教育費を出せなくなってしまった親に親身になって応援してやる気を出させているのです。
内容を聞いていたら、なんかうちの先生と同じようなことをその親たちに説いているのでした。

自分の仕事に誇りを持っている辺りは非常に喜ばしい限りです。

そんな彼が・・・・「お前んちのお父親さんから、なんか添乗員みたいなことをやってるって聞いたけど、結局何屋なわけ?」

説明が面倒なので「ま、そんなようなとこだ」といっておきました。
Kは事務所を見回して「不思議な雰囲気の旅行会社だな」と興味深々のようでした。
何度か会えば、この職業を理解できるかもしれません。



Kの誕生日を聞いたら六白の攻撃型宇宙人。器用貧乏の相でした。
確かに中学のころから要領がよくマルチプレーヤーで女の子にもモテモテでした。
中3の受験が終わった後は、頻繁に私の実家で男女混合合宿?なるとても楽しい泊り込みの会を二人で催していました。
唯一、好みが違っていたので兄弟になることもなく平和に過ごしていました。

ところが、たたまたま近所に住んでいてKを事務所に案内してきた、もうひとりの共通の中学の同級生のBは私と数日違いの誕生日・・・・つまりゲーテの相です。
うちの先生からは『世捨て人』と呼ばれていて、まるで根無し草のような人生です。

昔話をしていたら、兄弟だったということが25年の歳月を経てわかりました。
しかも、記憶の断片をたどってみたら一時二股をかけられていたみたいで、思わず笑ってしまいました。
その二股女も今では2児のお母さんで田舎で元気でやっているそうです。



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お茶菓子にと高島屋で買ってこさせたケーキのセット。

昔お世話になった方がここで働いているので、最近はこの店のまわしものみたいになっています。

近頃は酒を控えているため、宴会はゲーテの旧友Bに任せて、自分は定例の筋トレです。

『孤独に没頭したい時期だから』という説明を何の疑問もなく理解してくれるあたりは親友と呼べる二人には通用するようで、今日一番嬉しいことでした。

年齢と共に宴会は辛くなってきているのです。