母のラブレター

親戚の葬儀があって、たまたま父が来ていました。
1日の大半が不機嫌という父が、かなりご機嫌な理由は簡単でした。

新幹線の改札で見送る母から「乗ったら読んで」と手紙を渡されたようです。

それはなんと・・・・

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「父さんへのラブレター」

照れながらもウチの家族に見せようとする70歳の心境はどんなもんでしょうか(笑)?
最初はウチの恐妻にだけ、といって見せたようですが、恐妻がこのことを自分の心の中にしまっておけるはずはなく、高校生の息子を径由して、二十歳の娘に至っては「もう、泣いちゃう」と言って何度も読み返していたというのです。

いったい何が書かれてるんだ?!

手紙には、当たり前のようにしている日常のことに関するお礼のことば、そして祖父が亡くなり、これからは二人だけで生きていく時間を大切に過ごさなければならないという思い、お互いのご先祖様が二人を結んでくれたことへの感謝のことばが並びます。

この辺で、私の方が恥ずかしくなって、先を読んで良いものかどうか?躊躇してしまいます。

続けて・・・・若い時には「綺麗になった」と褒めてくれたり、なんでもいうことを聞いてくれ優しく接してくれたこと。でも時が経つにつれて、その当たり前のことに慣れてしまい、あるいはそれに甘えてしまい働くことにばかり気を取られて、知らず知らずのうちに父をないがしろにしたことを反省しているという様な内容でした。

※ここまでの私の率直な感想は・・・・「母上、愚息が申し上げるのも何でございますが、これはごく当たり前のことかと。むしろこの気持ちを手紙にしたためていること自体が素晴らしいと思います。」


後半は気が引けて流し読み。
正月に帰省した際に、父についての愚痴を言ってた人と同じ人が書いた文章とはとても思えません(汗)


母は腹のまったくない純粋な人で、人の話をすべて信じて疑わないタイプ。
訪問販売で購入したであろう実家の多機能掃除機が頻繁に新しいものに変わっているあたりがそれを物語っています。

そう・・・新しい物好きの母は、常にポジティブなのですが、自分が求めるキーワードがあるとすぐに乗ってしまいます。

手紙の最後を見ると・・・「夫婦が幸せになれる話をしてくれる人がいるので、一緒に聞きに行きましょう(宗教ではありません)」という結論で、ラブレターはどうやらその長い前置きだったみたいなのです。
お寺の座談会の講和の次は新興宗教に心を動かされてしまったんでしょうか?

でも父は、その夫婦が幸せになれる話をしてくれる人のところへ喜んで一緒に行くと思います。







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手紙をよく見ると・・・・
母は結構ザックリなチカラわざ系・・・・・おそらく書き切れなくなって追加したのであろう最後の4枚目は紙の材質も色も違って端っこが微妙に破れているという、この辺はあまり気にしない彼女の組成がそのまま表れてて笑えました。

どうか末永くお二人仲良く過ごして下さい。

父が母の掌の上でご機嫌な日々を過ごしてもらえることを夫婦が幸せになれる話をしてくれる人に切望してやみません。