東京で悪徳不動産業を趣味でやっているAさんが真っ赤なTシャツを着てAKBパステルサンド入りのこれまた真っ赤な袋をお土産に起こしになりました。
駅で「みんながこの手提げ袋に注目していたのよ!」とAさんが言ってましたが、袋ではなくて当のご本人が目だって注目されていたのだということをお気づきになっていないようです(笑)
不思議なもので、Aさんと10分ほど話をするとものすごくモチベーションがあがります。
Aさんの昔話を聞くと、「あ~この人ですらこんな時代があったんだ~」とかなり安心します。
Aさんの昔話を聞くと、「あ~この人ですらこんな時代があったんだ~」とかなり安心します。
全く同じ歳で仕事もせずに退職金を食いつぶながらブラブラしている従姉妹がいますが、Aさんから伝わるこの感覚を感じたことはありません。
やはり年代に応じて思いっきり、やるべきことをやっているかどうかで後の十数年が大きく変わることは誰でも理解できます。
そのうち、来年辺りから、と面倒くさいけどやらなければならないマストな事を先送りしても次への階段の踊り場からは抜け出せません。
そのうち、来年辺りから、と面倒くさいけどやらなければならないマストな事を先送りしても次への階段の踊り場からは抜け出せません。
「40代、50代になったときに、それなりの顔つきになっていないとまずいでしょ?」とお客さんと話している先生の声を聞きます。全くその通りだと思います。自分もはた?と思うことがあります。
その中の一説・・・・3番目の話は死について。
17歳のとき次のような一節を読んだ。「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」。私は感銘を受け、それ以来33年間毎朝鏡を見て自問している。「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」。そしてその答えがいいえであることが長く続きすぎるたびに、私は何かを変える必要を悟った。
最近はいろん方と、自分の人生の最後の日がわかったほうがよいか、はたまた今までどおり知らないほうがよいか?を話題にすることがあります。
ちなみに、私は知りたい派です。皆さんはいかがですか?それを知ったら今日や明日の行動はどう変わるんでしょうか?